Select Language

Check Application Status
en

Resource Zone

気持ちを創る

Matthew Luhn

Rate 1 Rate 2 Rate 3 Rate 4 Rate 5 0 Ratings Choose a rating
Please Login or Become A Member for additional features

Note: Any content shared is only viewable to MDRT members.

アニメーターとしてPixar社のストーリー・チームだったLuhnはこれまでにトイストーリ3やモンスターズ・インクの制作に関わり、観客を笑いと涙に誘いました。自身のキャリアの軌道から、皆さんもクライアントとのコミュニケーションからテンションとリリースを使うことにより使命宣言を提示する以上の『フィーリングの創造』を学んでください。

25年以上の間、私の肩書きは「人を泣かせる男」です。映画館やお茶の間、飛行機の中など映画を見られるところならどこでも大人から子どもまで泣かせてしまうビジネスに携わっています。皆さんもトイ・ストーリー、ファインディング・ニモ、レミーのおいしいレストラン、カールじいさんの空飛ぶ家などのピクサー映画をご覧になったかもしれませんが、私はストーリーを考えて観客を泣かせる係の一員です。泣かせる以外にも人を笑わせたり、元気づけたり、考えさせたり、また何より人生を変える経験をしてもらうことをビジネスにしています。私はストーリー・テラーです。

この仕事に就いたいきさつ、すべては一つのおもちゃ店で始まりました。私が生まれた頃、両親はサンフランシスコのベイエリアでおもちゃ業界では最も店舗数の多いおもちゃ屋を経営していました。

この家族経営店の名はJeffery’s Toysです。子どもにとっては悪くない環境だと思いませんか?誕生日の朝起きると、両親は「好きなおもちゃを選んでいいよ」と言ってくれるのです。唯一の欠点は私のスターウォーズ全コレクションが目的で家に来る子どもが多いので、真の友人が誰なのか見極めなければならないことでした。

しかし店を始めたのは両親ではありません。私の祖父母が営み、その前は曾祖父母が営んでいました。その一代前のCharlieはおもちゃ店とは関係がありませんでした。実際Charlieはおもちゃと子どもが大嫌いで、サンフランシスコにある自分のタバコ店で違法ギャンブルを取り仕切っていました。

Charlieを別にすれば私の家族は何かしらの形でおもちゃ店に関わってきました。なぜなら私の家族はいつも大人と子どもが一つのおもちゃを手にして遊び、想像し、楽しむ空間を創り出したいと思っていたからです。私が物心ついて以来家族はいつもJeffrey’s Toy店に来る人が特別な経験をすることを愛してきました。

皮肉なことに、父はこの家族経営のおもちゃ屋を本当に所有し経営したいとは思っていませんでした。おもちゃは大好きでしたが、子どもの頃から別の夢を抱いていました。アニメーターになりウォルト・ディズニーで働きたかったのです。父は小学校、中学校、高校時代、教科書を読むよりも多くの時間を本の隅にカートゥーンのキャラクターを描くことに費やしてきました。ベトナム戦争の間でさえアニメーターになる夢を持ち続け、海外で従軍している時も何冊ものスケッチブックに絵を描き続けました。帰還後、父は第二次大戦では海軍にいた祖父におもちゃ屋で働きたくないと告げました。代わりにディズニーでアニメーターになりたいと。

「息子よ、おまえがアニメーターになれるわけがない。芸術家では食べていけない。それにおまえにはおもちゃ店の経営を手伝ってほしい」と祖父は答えました。海軍のロジックが志をめぐる戦いに勝利し、ディズニーのアニメーターになりたいという夢は退けられました。父は後に結婚し、息子(私)が生まれ、明けても暮れてもおもちゃ店で働かなければなりませんでした。

私が4歳位のとき父はひどい腹痛で店を休み家にいました。父を元気づけようと私は4歳児ができる最良のことをしました。絵を描いてあげたのです。腹痛に苦しむ父の絵でした。特にお腹の部分に色々な渦やくねくねした線を描いて、父が感じているだろう痛みを表現し、自分でもかなり良くできたと思いました。その絵を見たとき父は私を指さして「これだ。おまえは選ばれた者だ。おまえは私の夢をかなえる。ディズニーのアニメーターになれるだろう」と言いました。正確な言葉は覚えていませんが、子ども心に残ったのはこのメッセージでした。

それ以来幼い私は父の見習いになりました。父と一緒に絵を描き、映画にたくさん連れて行ってもらいました。週に一度は、母が朝私を小学校まで送り届けてから30分くらいして父が迎えに来ます。学校の管理人には医者や歯医者の予約が入っていると伝えますが、本当の理由は映画を見に行くからでした。ジョークではありません。新しく公開された映画を見に行くときの長い列を避けるため、ほとんどの子どもが学校に行っている時間に見てしまおうと考えたのです。どんな子どもでも望むような最高の父でした。

最初に見た映画はジャングル・ブック、ロビンフッド、ニムの秘密などすべてアニメーションでした。アニメ映画を見つくすと次にスターウォーズ、ヤング・フランケンシュタイン、巨大クモ軍団の襲撃といった実写映画に連れて行ってもらいました。父は特にSFホラーに魅了されていました。言うまでもなく感じやすい9歳の子どもにポルターガイストを見せるのはお勧めしません。私は何カ月も悪夢に悩まされました!それでも父のアートやアニメ、映画に向ける情熱は私に伝染し、高校時代には古いスーパー8mmカメラで映画を作り始めていました。当たり前のようにアニメ制作の過程を学び、昔ながらの手法で父がシェアしてくれた魔法を実現する努力をしていました。

また高校時代にアニメを専門的に学べる大学があることを知りました。私は心底その大学に行きたいと思いました。大学名はCalArts(カリフォルニア芸術大学)といい、伝説のウォルト・ディズニー本人が計画し創設に関わった大学です。アニメーションを勉強するにはうってつけの場所でした。

幸運にも入学を認められ、大学生活が始まりました。学びはすべて楽しいものでした。ピクサーのほとんどの監督、絵コンテ作家、脚本家、キャラクター・デザイナーそしてアニメーターはCalArts出身です。卒業生の中にはパワーパフガールズ、デクスターズラボ、ぼくらベアベアーズのようなテレビアニメのクリエイター、そして有名な監督や役者が大勢います。

大学1年目に私が作ったアニメフィルムが、ゴールデンタイムに放映中の最新アニメヒット作ザ・シンプソンズの監督の目にとまりました。驚いたことに私はシンプソンズのアニメーターの仕事をオファーされましたが、まずは大学を卒業する必要があるからと辞退しました。というのは嘘で、直ちに大学を辞めシンプソンズのシーズン3から19歳という最年少のアニメーターとして働き始めました。この時点で父のゴール、いや私のアニメーターになるというゴールはある意味達成されました。しかし変化が起きようとしていました。

私はある日ザ・シンプソンズの企画室に迷い込みました。それまでテレビ作家は気難しい人たちで暗いオフィスにたった一人座り、パソコンに向かって膨大な量の台本を書いているイメージがありました。しかし私が目撃したのは漫画作者、ハーバード大学の卒業生、コメディアンなどさまざまなバックグラウンドを持つ人たちの集まりでした。たった一つの共通点は、皆素晴らしいストーリー・テラーだったことです。コナン・オブライエン(訳注:アメリカの著名なテレビ司会者)もシンプソンズのライターをしていました。ブレーン・ストーミングをして脚本を作り上げる過程を間の当たりにし、すぐにこれこそ自分がやりたかったことだと悟りました。他の人が書いたストーリーをアニメにするだけでなく、ストーリーそのものを創りたかったのです。父はアニメを描くことに熱中しましたが、私がアニメの中で一番好きなのは全体像やストーリーを考え、キャラクターを創り出し冒険をさせることだと気付きました。

しかしアニメーターからストーリー・テラーへ転身する方法がわかりません。また父をはじめ家族の皆が私に寄せていた期待を裏切り、父をがっかりさせたくありませんでした。でも心の奥底では魔法のようにストーリーを創るあのプロセスの一員になりたかったのです。

シンプソンズのシーズン3が終了したとき、私は二つの決意をしました。まずサンフランシスコ・ベイエリア出身者として、一生ロサンゼルスに住むつもりはないこと。またストーリー・テラーになるためどんなことでもすると決めました。

するとある日突然、ベイエリアにある設立間もないアニメーション・スタジオでの仕事のオファーが来ました。コマーシャルのアニメ映像やコンピュータ製品の短い広告の経験しかない会社に就職し、「本物の」アニメの仕事があるロサンゼルスを離れるのはリスクを伴いましたが、私はやってみることにしました。

当時スタジオにはわずか80人の従業員が働いており、世界初のCGアニメーション・フィルムを創造するという夢を持っていました。彼らはピクサーと名乗っていました。

ピクサーは伝統的なアニメ制作会社ではありませんでした。ジョン・ラセター監督はじめ作家たちは、おとぎの国で「願いがかないますように」と歌う王子様やお姫様が出てこないアニメ作品を作りたいと思っていました。もちろんアニメはすべてコンピュータを使って作成します。手描きのセル画は一枚もありません。今までとはまったく違うものができるのです。またスタジオは映画産業に新たに参入したスティーブ・ジョブズが買収していました。

入社した1992年、私はピクサー初のアニメ映画トイ・ストーリーを作った最初の12人のCGアニメーターの一人でした。アニメ業界の大半の人はこの作品が大失敗すると考えていました。

トイ・ストーリーでの最初の仕事は小さな緑色の兵隊たちに命を吹きこみ、プラスチックの台座のまま動き回るCGを作ることでした。正しい動きを知るため、わたしは自分の靴を長方形の木製板に取付け、歩き走り這いつくばり、またスタジオ中の机から飛び降りるところを撮影しました。できる限り本物と同じように動かしたいと思ったのです。

しかし制作で私が一番わくわくするのはやはりストーリーでした。本当にやりたかったのはこちらの方でした。キャラクターを創作して絵コンテを描き、話を繋ぎ合わせるのに一役買いたかったのです。そこで毎日CGの仕事が終わるとストーリー・ルームにふらりと入り、ストーリー・チームの人に絵コンテの仕上げや色塗りなど何か手伝えることがないか聞くことにしました。そのうち自分の仕事が終わったあとは毎晩、また毎週末ストーリー・チームを手伝うようになりました。ストーリー部門に移籍する可能性が出てきました。

トイ・ストーリーが成功した後、私はトイ・ストーリー2のストーリー・チームの一員になりました。当時は予想していませんでしたが、これが20年にわたるピクサーでのストーリーを作るキャリアの始まりで、10本の映画、5本の短編アニメ、2本のテレビの特別番組を作りました。制作は高校時代に友人たちとフィルムを作っているときと同じように本当に楽しいものでした。

ある日Wired誌を読んでいるとピクサーに関する記事があり、ピクサーは映画史上どの映画会社よりも世界中で愛され興行的に成功した映画を立て続けに創り出したと書いてありました。そうです、私たちはワーナー・ブラザーズ、ユニバーサル・スタジオ、パラマウント、MGMよりも多くのヒット作を次々と世に送り出しました。どうやって?優れたCG技術やキャラクター・デザイン、色彩、音楽の他にも理由がありました。それは優れたストーリーのおかげでした。物語はピクサーの立役者です。物語担当としてトイ・ストーリー2、トイ・ストーリー3、モンスターズ・インク、ファインディング・ニモ、カールじいさんの空飛ぶ家、カーズ、レミーのおいしいレストラン、そしてモンスターズ・ユニバーシティに携わり、また他の会社で作家やストーリー作りのコンサルタントをしながら気付いたことがあります。それは優れた物語は優れた小説や演劇、映画、テレビ番組を生み出すだけでなく、成功するビジネスやブランド・イメージにも役立つことです。お客様のいる場所が映画館でもおもちゃ店でもオンラインのショッピング・サイトでも、お客様を魅了し売り上げに結び付けるには人の心をかきたてるようなストーリーを語ることが重要なのです。

今でも台本を書き物語のアイデアを考案しますが、優れたストーリー作りの本質を営業やマーケティング、話すことを仕事にしている方々とシェアし、感動を生むストーリーを通してブランドを強化しながら確かな人脈を作り、人を動かせるようにすることにも情熱を傾けています。

年齢、性別、文化を問わず、なぜストーリーはこれほど有意義で人の心に効果的に響くのでしょうか?なぜなら優れた物語は上手に伝わると記憶に残り、一人一人に影響を及ぼすからです。

もしストーリーを省いて統計やデータ、情報を伝えようとするなら、人は10分後には情報の5%しか覚えていません。がっくりしませんか。特に一日中数字を扱い、データを収集して売ることが仕事ならなおさらです。ビッグデータはあらゆるものを変えていますが、感情を動かす素敵な物語がなければ顧客も仲間の従業員も次のミーティングのときにはその情報を忘れています。同じ情報でもストーリーやイベントを織り交ぜれば人の記憶に残ります。物語が付随すると人は情報を22倍も覚えています。

宝飾店のティファニーが印象的な物語を伝えるためナラティブ、色、書体、映像を組み合わせている手法を見てみましょう。トレードマークのコマドリの卵の色から来たティファニー・ブルーは静けさや逃避を感じさせ、書体やロゴマークはエレガントで洗練された気持ちになり、店やウエブサイトそして広告で使われる写真やイメージは愛とロマンスを伝達します。総合するとそれらは、ティファニーで買い物をしたことがない人でもよく知っている記憶に残るブランド・ストーリーを語ります。ストーリーに十分な意義があると人の記憶は5%からいきなり65%に跳ね上がります。覚えているだけでなくもっと親しみを感じるのです。

物語は記憶に残るだけでなく、心に強く響きます。感情が浮く(喜び、期待、驚き)瞬間と沈む(悲しみ、恐れ、怒り)瞬間がジェットコースターに乗ったときのように交互に訪れ、実際化学物質レベルで人間の体に影響を及ぼします。人、CGのおもちゃ、ロボット、ネズミなどが、笑いほほえみ冒険するのを見たり聞いたりすると私たちの体内でドーパミンとエンドルフィンが放出され、悲しい場面や重苦しい場面になるとオキシトシンが放出されます。この悲しみと喜びの瞬間をストーリーに交互に入れることで顧客は遊園地の乗り物に乗っているような気持を味わいます。上り坂と下り坂、緊張感と安堵感の連続で、わくわくする物語が生まれます。

映画カールじいさんの空飛ぶ家のオープニングは笑いあり涙ありの感情を動かすストーリーで有名になりました。最初のシーンでは若い男女が恋に落ちて結婚し、家を建て共に働いて子どもを持つことを夢見ます。このようにドキドキやハラハラに満ちた幸福で滑稽な場面では、体内に大量のドーパミンとエンドルフィンが放出します。しかし次の病院のシーンでは女性が子どもを持つことができないことがわかります。すると幸福な化学物質は何トンものレンガのように崩れ落ち体内にオキシトシンが巡ります。登場人物に感情移入していやおうなしに目頭が熱くなり胸がいっぱいになります。次に男性は妻に冒険日誌を渡して元気づけ、二人はいつか南アメリカのパラダイス・フォールへ旅することを計画します。幸福な化学物質が再びわき上がり私たちは笑顔になります。しかし二人は冒険に行くお金を決して貯めることができないとわかり、再び幸福の化学物質は崩壊します。月日は流れ二人は年老います。ある日老いた男性は妻との約束を思い出し懐中時計を売ってパラダイス・フォールスへの2枚のチケットを手に入れます。観客は再びいい気分になります。本当に、最高の気分です!ようやく一緒に例の旅に出るのです!しかし男性が妻にチケットを渡す前に、彼女は倒れ病院に運ばれて亡くなってしまいます。何てことだ、と見ている人はどれほどトイレに行きたくても何かを食べたくても席を離れることができません。あの老人がどうなるのか知りたいからです。皆さんもクライアントにセールスピッチをしたり同僚に会社の展望をシェアしたりするときに、聞く人が席を離れられないようにしたいと思いませんか?

素晴らしいリーダーやスピーカーはいつもこの緊張と弛緩のテクニックを使っています。聴衆を日常から連れ出して別の可能性を見せ、元の世界に戻して取引を成立させるという壮大なエンディングで締めくくります。

ジョブズが2007年にサンフランシスコのMacworld ExpoでiPhoneを発表したときも、このアップダウンを利用したストーリー・テリングの手法を使いました。

ジョブズは「私はこの日を2年半待ち続けてきました」と言ってプレゼンテーションを始めました。彼の高揚感が大勢の聴衆に伝わりました。「今日Appleは携帯電話を再発明しました。新しい装置を導入したiPhoneです」聴衆はくぎ付けになり幸福の化学物質が駆け巡りましたが、次に一呼吸おいてこれまでに作られたスマートフォンはスマートどころか愚かだと言って聴衆のテンションを下げました。悲しみの化学物質がまだ放出されている最中にジョブズは急に話の方向性を変え「でも私のスマートフォンはコンピュータと同じくらい賢いです」と宣言し、聴衆は皆小躍りしました。次にまたテンションを下げて「スマートフォンにタッチペンを使うのは格好悪いと思いませんか?」と言い、それからテンションを上げて「私の携帯電話は完全なタッチスクリーンです。指を滑らせるだけでiPhone全ての機能を操作できます」と言いました。この時点で聴衆の興奮は最高潮に達しました。もし記憶に残る話をして行動を促したいなら聞く人の感情をジェットコースターのように動かさなければなりません。

どんな靴を履くか誰とデートするかどんなショーを見るかなど、人が生活の中でくだす全ての決断は自分の心を動かしてくれるのが誰かまたは何かに基づいてなされます。決断の大小にかかわらずそれは脳の右側がつかさどる感情が決め手となっています。これは映画を見ていても本を読んでいても写真を眺めつつ人生を振り返っていても、意識しようとしまいと常に脳内で行われています。

例えばここに私の車の写真があります。〔視覚映像〕これはジープです。アメリカで最も有名なオフロード車ですが私には3人の子どもがいます!3人の子持ちの父親が持つのにふさわしい車ではありません。しかし、ふさわしいかどうかでこの車を買ったのではありません。その外見、色、そして物語が私を冒険や遊びへとかきたてたので買いました。もちろん後になって正しい選択をしたのかどうか左脳を使って正当化しようとしますから、その商品や解決策やアイデアに内容が伴っていることも重要です。そして物語が記憶に残り心に響くものであれば語っているのが小説家でも映画俳優でも会社のCEOでも誰であっても、その人との間に個人的な繋がりが生まれます。

それがストーリーをシェアしてバス停のベンチでたまたま隣に座っていた人の人生を変えたフォレスト・ガンプのトム・ハンクスであっても、Appleの話を分かち合って従業員を奮い立たせようとしたスティーブ・ジョブズであっても、ストーリー・テリングには個人や会社全体との個人的な繋がりを創り出す力があります。仕事や私生活と物語を組み合わせるのは、人の心を動かし決断させる最善の方法です。

ミッション・ステートメントを作るだけでなく、気持ちを創造することが大切です。人が商品やサービスに出会うときに感じて欲しい2,3の言葉を視覚映像とともに選んでください。ティファニーはミッション・ステートメントをその広告やウエブサイト、包装や店舗で使用する色・書体・イメージを通して広める方法が非常に優れています。一つ一つの内容は注意深く選ばれ「優雅さ、逃避、愛」の気持ちを創造します。ティファニーが望む感情です。ナラティブと視覚的なストーリー・テリングにより発見する楽しさを体験してほしいのです。偉大な企業ならではの手法です。

テスラは洗練された車として、化石燃料を使わない未来を積極的に感じとってほしいと願っています。ウォルト・ディズニーはすべてのパーク、映画、ショップで歓喜と娯楽を体感してもらうことを望んでいます。それはミッション・ステートメント以上のものです。それは感情であり、明白な感情を発信しないなら聴衆やお客様に矛盾したメッセージを送ることになってしまいます。或いはそれらをただ混ぜてしまいます。こうしたことはエンターテインメント業界でもビジネス界でもよく見受けられます。皆さんは聞く人に何を感じ取ってもらいたいですか?

エンターテインメントでもビジネスでもストーリー・テリングを使って人の心に訴えてください。なぜなら最終的に人が覚えているのは取締役会やセースルピッチで話されたことやウエブサイトやミッション・ステートメントに書かれたことではなく、どのように感じたか、だからです。

Luhn

Matthew Luhn はストーリーテラー、指導者、基調講演者、ストーリーコンサルタントとして20年以上の経験を有し、Pixar Animation Studiosでは有名な存在。Pixar での功績にはトイストーリー・シリーズ、モンスターズ・インク、そしてファインディング・ニモなどがある。ハリウッドでの活躍に加え、フォーチュン500社に入る大企業、起業家、そして様々な専門職のために、ビジネスと心をストーリーで繋ぐブランド作りやビジネス・コミュニケーションの支援をしている。

 

{{GetTotalComments()}} Comments

Please Login or Become A Member to add comments